タイプロジェクト
2003年8月
TGFの新たな支援先調査をかねて、チェンライの山岳民族ラフ族の村とさくら寮を訪問。村の小学校運営プロジェクトを決定
2003年9月
メータン村人による学校建設が開始、教員の募集に入る
2003年11月
開校式を迎える(星野・加藤で出席)
2004年6月
6月10日~6月17日 ベトナム・タイ支援先訪問ツアーを開催
フエ「子どもの家」チェンライ「メータン村」「さくら寮」&ミャンマー農村を訪問
2005年10月
メータン村友愛小学校、さくら寮支援訪問、ミャンマー視察
村の現状と学校運営の今後を視察及び打ち合わせを行う
2006年1月
メータン村でも麻薬密売が発覚し逮捕者がでる
2006年2月
麻薬密売村と言う事で、教師派遣が困難になり2月末日をもって休校
2006年4月
学校の生徒の中から8名の子どもを「さくら寮」に受け入れてもらうことに決定
→子ども達のその後…
2007年4月
メータン村調査とさくら寮激励に行く。
学校は崩壊し村は荒れていた。
キリスト教の宣教師が入り、勉強を教えていた。麻薬は相変わらず使用しているようだった。
子どもたちの家庭を訪問し様子を聞いた。
ジャティ一家は行方不明
三輪さんとさくら寮の4名の生徒と共に帰国。
山岳民族の子どもが初めて日本に行く
2008年5月
メータン村とさくら寮定期訪問
メータン村の何軒かの家が麓へ移住はじめた。竹とバナナの皮の屋根の伝統的なラフ族の高床式の家でない、タイ人風の家もあった
2009年3月
メータン村とさくら寮定期訪問
メータン村の半数の家が麓へ移転。里子のナプーの家も麓に出来ていた。パプーの両親は離婚していて、父親の家は麓。母親の家はメータン村にあった
2010年11月
メータン村とさくら寮定期訪問(12名)新寮完成。寮生による歓迎会を開催。
寮生活の実態を把握。ナプーは元気に寮生活を過ごしていた。読書が好きだそうだ。 首長族とアカ族の村を訪問
ラフ族のメータン村
さくら寮
二人目の子どもを産んでいたナレー20歳
(麓にできた立派な家で)
里子のナプー(真ん中)14歳
この子達と出合ってもう6年が経つ。麻薬栽培を始めた村は随分荒れ果ててしまった。
2006年2月28日に休止したメータン村の小学校の生徒は、その後選抜試験をして8名が「さくらプジェクト」にお世話になることになった。その後の様子を少しずつ記す。
2006年2月10日
さくらプロジェクト・三輪さんにメールを入れ、メータン村の事件(麻薬密売)とその影響により学校運営の休止、子ども達の受け入れのお願いをする。
2006年2月13日
早速三輪さんはメータン村を訪問、ジャティを訪ねてさくら寮での勉強について意見交換。ジャティは子ども達の寮生活の勉強を熱望、これによりTGF(当会)はメータン村の子ども達のさくらプロジェクト入りのバックアップを決定。この時点で5名の 入寮希望者を確認。(一つの村から3名程度が限度と言われる)姉妹は同時に入寮が出来ない規則。
2006年2月/3月中
何度も入寮について意見交換、姉妹をさくら寮とエコホームと分けての特例入寮の可能性をお願いする。
2006年3月18日
さくら寮の入寮説明会(書類審査に合格の約90名が1泊の体験入寮試験)、5名が体験入寮試験に臨む予定。ジャティには説明会の日時は通知してあるが、実際に来るかどうかが不安。 しかしジャティは10名の子どもを連れてさくら寮に来る。とりあえず緊急審査後8名に1泊試験を受けさせてもらう。
2006年3月21日
さくら寮スタッフによる選考審査終了。当初5名のうち3名と枠をいただいた中でも当初希望の5名の入寮を許可。残りの3名ももう少し検討。星野がチェンライに入り、メータン村で最終面接をすることに。
2006年3月31日
村の状況把握と最終面接のため星野はチェンライに入り三輪さんと合流しメータン村へ行く。事前に入寮希望を取っていた子どもの家を訪問し確認作業をする。8名の子どもの意欲を確認し、入寮の内定をいただく。里親のマッチングを確認。今年のさくら寮への申込数約300名書類審査で90名、適正試験で40名の受け入れ。その中でメータン村の子どもの8名の受け入れは特例。感謝感謝。
2006年4月1日
サネートラベルと学校運営の休止、今後の方向性、会計の閉鎖を確認をし、2年半の総括をする。
2006年4月中
何度か三輪さんと入寮に当たっての事務連絡、星野・加藤・長の3名がさくらプロジェクトの里親会に入会。(先に里親になっていた高橋を入れ4名が里親になる)
2006年5月11日
新学期が始まるため、さくら寮へ7名で親子で集まり説明会、その後親は帰った。
説明会の翌日に8人の内4人はエコホームへ行く予定。ワラポンは風邪のため村に残り、治り次第寮へくることになる。
(さくら寮)ナルー、ナプー、サワラット、タナコーン
(エコホーム)シリラック、ワラポン、シリペット、ブンナム
夜、ナルーとシリラックの姉妹が「どうしても村へ帰る」と泣き出し、歩いても帰るというので父親ジャティに連絡をする。姉妹は深夜何度も脱走を試みる。
2006年5月12日
父親ジャティは仕事で来れないので、親戚がバイクで迎えに来て、姉妹は一度村に帰り父親ジャティが説得することに。
2006年5月13日
一緒に学校運営をしていたサネートラベルへ連絡し、元先生のガニガーンさんやサネー等で姉妹の説得を頼む。
2006年5月14日
風邪で村に残っていたワラポンが父親と一緒にさくら寮へ。そのままエコホームへ行く。エコホームでは不安で「帰りたい!」と言っているようだ。
2006年5月15日
ナルー、シリラック姉妹が父親ジャティに連れられてさくら寮に戻る。何とか説得され寮に戻ることになった。シリラックはそのままエコホームへ行く。
ナプー、サワラック、タナコンの3人はすでにかなり寮生活になじんで、とても明るく、元気にやっているようだ。
2006年5月16日
深夜未明シリラック、ワラポン、シリペットの3名がエコホームを脱走。翌朝大捜索でチェンライ市内のメーファンルアン橋の袂のボート乗り場で発見保護。
深夜20km以上歩いたようだ。
2006年5月17日
3名の親に連絡し、ワラポン・シリペットの父親がエコホームに迎えに来る。娘の状況を見て村へ連れて帰る。シリラックの父親は夕方になるというと、シリラックはまた脱走を試みる。仕方が無いので姉がいるさくら寮へ連れて行き説得をしながら待つことに。 夜父親ジャティがさくら寮に到着、夜遅いので説得をしながらさくら寮に1泊することにする。(本人は絶対に村に帰ると言う)
2006年5月18日
朝になると恐れていたことが・・、姉のナルーもどうしても村(家)に帰ると泣き出す。村の状態に不安を持ち、娘たちにはどうしても教育を与えたいと必死になっているジャティはついに娘たちを棒で叩いたり殴ったり・・、さくら寮のスタッフが止めに入る状況。ついにジャティも諦めて二人を村につれて帰る。親も必死なら子も必死、さくら寮のスタッフも三輪さんも真剣。本当に本当にありがとうございます。
星野の里子二人はついに村へ帰ります。本当にお世話になりました。
8人で始めた寮生活は、さくら寮・ナプー、サワラック、タナコンの3人、エコホームではブンナム1人、の4人になりました。
2007年4月
メータン村の調査とさくら寮激励に行く。村の学校は崩壊し村は荒れていたがキリスト教の宣教師が村入り勉強を教えていた。麻薬は相変わらず使用しているようだった。子どもたちの家庭を訪問し様子を聞いた。ジャティ一家は行方不明。噂によるとチェンマイの方に移住したらしい。麻薬中毒の母親とナルー・シリラット姉妹はどうしているだろうか?
2008年5月
メータン村とさくら寮定期訪問。メータン村の何軒かの家が麓へ移住はじめた。タナコン一家は伝統的なラフ族の高床式の家でない、タイ人風の家を造っていた。ナリーはガイドと結婚していたが噂によると上手く行っていないようだ。
2009年3月
メータン村とさくら寮定期訪問。メータン村の半数近くの家が麓に移転していた。ナプー・ワラポン姉妹の家も麓にあった。親は離婚していて母親はメータン村に残っている。ナレーは2人目の子を産み、ナリーはチェンマイの方へ引っ越して行ったそうだ。離婚したのか?タナコンとブンナムはさくら寮をやめ、自宅から学校に通いたいと言っているそうだ。